【投資について語るときの愛と追憶】「物語への投資」by 黒猫投資家
「私たちが売るのは物語です」
これはずいぶん昔に仕事を通じて知り合ったファンドマネージャーの言葉である。
個人や機関投資家から資産を預かり運用するファンドマネージャーは、各国の金利の動向などの金融政策や財政政策、インフレ率といったマクロの分析をしたり、個別の産業の需要や供給の動向などをもとに投資戦略を立て、投資家に投資戦略や金融商品を提案する。しかし、このような各種指標や企業の財務分析の結果は、数字の羅列であり、投資家又は機関投資家の担当者のマインドにはあまり強く刺さらない。投資の世界であっても、まるで絵巻物のようなストーリーのほうが人間の心には響くのだ、ということを彼は言いたかったのである。
確かに、イーロン・マスクが描くテスラ社の未来の車に人々は熱狂する。新興宗教の信者のように株主はテスラ株を買い支える。2022年現在、為替の動きが激しいので、大雑把な数字だが、トヨタの時価総額は約30兆円程度に対し、テスラの時価総額は100兆円前後である。車の販売台数でいえば、2021年度のトヨタは1000万台超、テスラは100万台という差があり、実需でいえばトヨタ車を選ぶドライバーのほうが圧倒的に多いにもかかわらず、投資リターンに関しては、投資家はテスラ株を選考しているというのが現実だ。ソフトウエアの不具合や自動運転の動作の不安などが報道されても、イーロン・マスクの描く刺激的な未来の物語に、投資家は大金を賭けているというわけだ。今ここにない未来を手に入れられるかもしれないと思うと、私たちは、心臓がドキドキする。出会ったばかりの恋人との初めてのデートの日の朝の高揚感に似ているのかもしれない。堅実に走るトヨタより、まだ実現していないテスラに、どうして熱狂が生まれるのだろうか?
私たち人類が属しているホモ・サピエンスを他の動物と大きく区別する特徴の一つに、言語の使用方法がある。人類史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏は、著書「サピエンス全史」(河出書房新社・柴田裕之訳)において、「虚構、すなわち架空の事物について語る能力こそが、サピエンスの言語の特徴」と述べている。 例えば、目の前にリンゴがあるとする。この物体は、リンゴという果物であり、食べられるものです。この木にはヘビがいるので危険です。このように目の前の現実を説明する言語は、猿や鳥にも操ることができる。
ところが、未来や虚構を描く言語はホモ・サピエンスに特有なのである。例えば、リンゴの種がある。この種をまいて育てると、いずれは、リンゴという赤い果物がたくさん実る。皆で協力して世話をし、リンゴを収穫し、隣村に売って商売をしましょう、という言語だ。この言語は、未来や存在しない現実である虚構を描き、受け手に時間の流れを観念させ、対象物へのアクションを示唆する。そして、そのアクションによって、得られる潜在的な果実を期待させ、アクションへのインセンティブを提供する。つまり、未来はあなたのアクション次第で、もっと大きくなるのだから、協力して大きなリターンを得ましょう、と団結を呼びかけることができるのだ。
ホモ・サピエンスが獲得した虚構を語る言語能力のおかげで、共同体や組織や国家が団結して、他の動植物を凌駕し、未来を創造することに成功してきたのだ、というのが、先ほどの著者の論旨である。株式会社は、社員、株主、取引先、顧客など多様なステークホルダーが関与する共同体の一つであるから、指導者がこれらのステークホルダーを統合し、アクションを促すには、当然、虚構を語る言語の力と説得力のあるストーリーが必要なのである。
株価は、未来の果実を現在価値に還元したものであるから、途方もない未来の物語を描けば、現在価値も跳ね上がり、投資家は熱狂するわけである。
テスラのように未来を熱狂させる株は日本株には少ないようだ。毎日のように数多くの日本株のニュースを眺め、決算速報を見ても、そこに記述されるのは、すでに過去となってしまった状況の分析結果にすぎず、投資家の熱量を盛り上げてくれるような未来図はなかなか見えてこない。安定した配当を提供してくれるバリュー株としての日本株にはたくさんの注目銘柄があるが、少子高齢化・保守化する日本にあって、未来に壮大な虚構を描いてくれる企業や指導者が生まれにくいのは当然のことかもしれない。重すぎる人口ピラミッドの上部3分の1くらいが抜けたら、再び日本も軽やかに物語を語り始めるのだろうか。壮大で、ワクワクする未来の物語を語ってくれる起業家が日本にもっと出てきてほしい。
執筆:黒猫投資家(猫と人間のほんとうの幸せを探求する女性個人投資家)
猫と人間のほんとうの幸せを探求する女性個人投資家が紡ぐ不動産、株、投資信託物語
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